植木屋さんのおじさんとおばさんとおじいさんのこと

まいMさんのMさんがアップしてはる動画に
お世話になっている植木屋さんが出演してはってびっくりした!
その話を母にしていて、その方のお父さん、お母さん、おじいさんのことを懐かしく思い出していた。
3人のそのおとなの人たちは私を大変にかわいがってくれてはった。
おとうさんのことを「おじさん」、おかあさんのことを「おばさん」と しておく。
庭の手入れをしてくれはるときだけではなく どこかへ行ったら おみやげもくださった。
でも、私は、その「おじさん」のことを ある時期からめんどくさいと思っていて
挨拶もしなくなった。
それには理由があって、私が私の祖父のことについて話すと その「おじさん」は「dosueちゃんのおじいちゃんより 僕のほうが戦時中は位が上だったんだよ。」と言われ、めんどくさかったのだ。
一回だけじゃなく 結構何度も。
それまでは 落ち葉を拾って何かを作ったり、仕事の合間に遊んでもらっていたのだけど
戦時中の話をされるのがいやだったし、位がどうのって言われてもピンとこないし
そのおとなが何をいいたいのかわからないから、話をしなくなった。

今朝、その「理由」は 母に話さず、「あるときから「おじさん」が苦手になったの。」と言ったら
「「おじさん」は、「おとながいやになる時期だろうから、わかりますよ。そのうちまた 挨拶もしてくれるようになるはず。」って言うてはったのよ。」と 話してくれた。
うーん。でも、私が苦手だった理由とは違うなぁ、と ちょっと残念な気持ちになった。

よく 高野山のおみやげで ゴマ豆腐をくださった。
あとは、「ふぼおんじゅきょうのはなし」という子供向けの漫画や 本をくださった。
お大師様の漫画もあったなぁ。

「おばさん」は、私の誕生日に天国へいってしまわはった。
どこが悪いのか知らないまま、「お見舞いに行って お顔を見てもろてきて。」と母に言われて
病院へ行った。
ピンクのかわいいパジャマを着たおばさんは、「力が入らないの。」と悲しそうに話してくれたけれど
顔色も良かったし、「すぐ退院できはるの?退院しはったら どこか行きましょうよ。」なんて言って病室を出たのに
数週間後の私の誕生日になくなってしまわはった。

家族じゃない、会社の人じゃない、でも、小さいときから私を知っていてくれるおとなだった。

戦時中の位についての話は、何が言いたかったのか 子供心にわかっていたけど
その話から複雑な思いが生まれてしまい、自分でもうまく処理できなかったんだな、あのころは。
たぶん、今でも考えは うまくまとまらない。

祖父は偉い人じゃないけど 偉そうな人だった。
人に嫌われるようなこともしていただろうと思う。
でも私の祖父で、私は大好きだった。
だから 「おじさん」の話の意図するところがわからないふりをしたんだったと思う。

子供のときのほうが おとなだったなぁ、と思ったりもする。