おじさんとのおわかれ

今朝、そのおじさんの娘さんから連絡があったらしい。
母が電話で訃報を聞いた。
今日の夕方にお通夜。
おじさんの奥さんは 私が19歳か20歳の時に亡くなってはる。
奥さんが入院してはったときにお見舞いへ行った時のことを今でもよくおぼえている。
R君と一緒に病室へ入ったら 奥さんがベッドでぐったりしてはった。
病室はブラインドを下げてあっても明るくて
顔色の悪い奥さんのお顔も透けてみえた。
お見舞いへ行くときには 絶対に泣かないと決めていたけれど
何か言葉を発しようとすると涙腺が開いてしまいそうだった。
「はよ、良くなってね。」と一言だけ言うことができた私。
「ありがとう。dosueちゃんのやさしいお顔、よう見えるよ。」と奥さんは言った。
その数日後、奥さんは天国へ行ってしまわはった。
それから おじさんは一人で生活をし始めはった。
お寺さんへ行き、写経をしたり 河川敷でお野菜を作ったり。
いろんなところへ自転車で行ってはった。
我が家からおじさんにバレンタインデーにはチョコレートを送ることになっていたけれど
今年は送っていなかった。
母は数日前から おじさんのことを気にかけていたらしい。
おじさんの娘さんが、「一ヶ月ぐらい前から「もうあかん。」とお医者さんに言われてたんやけど、がんばらはったんぇ。」と
母に話したらしい。
「ちょっと言うてくれてはったらお見舞いかて、お手伝いかてさせてもらえたのに。」と言っていて
気にはなっていたのに連絡はできないままだったことを悔やんでいた。
私がおじさんのことを思い出していたのは日曜日。
Bの家でBの教師じゅくの仲間の教師の方と3人で 珍しい苗字について話をしていて
おじさんの苗字とおじさんを思い出していた。

「新しいクルマが来たら ドライブに行こうね。」と声をかけていたのが一昨年末。
約束を果たせなかった。
今日の夕方のお通夜に母は参列。
私は行かない。
おじさんは私を「ちゃん」付けしたことがなく 小さい頃から「さん」付けしてくれていたなぁ。
懐かしいけど切ないし、寂しい。

お通夜に参列できなかったので
もし時間があれば明日の告別式でお別れを言おうと思い、
仕事の帰り、午後10時半ごろに
式場の前まで行ってみた。
告別式は正午から一時間。
明日は 仕事を抜けられないかもしれない。
外から式場の中を覗いてみたら おじさんの式場は一階であるということがわかった。
玄関に、夜間の出入はできないけれど、用事があったら警備室をたずねてくださいと書いてあったので
たずねてみたら
誰もいなかった。
「厳重警備中」と書いてあるのに 誰もいない。
そっとドアを開けてみた。
会場には人影もなく すんなりと入れた。
おじさんの遺影は おじさんらしくない遺影だった。
もっとお顔は白かったし、ええお顔立ちしてはったのに。
手を合わせてお礼を言った。
ぶつぶつ話しかけているうちに 誰かが現れるかもしれないなぁと思っていたけれど
5分以上居ても 誰にも咎められることはなかった。
警備がゆるくてよかった。