私だけの厄年

どうも、この12月からの災いはおうし座ってだけじゃなくて、
厄年なんと違うやろか?、なんて考えたりする。
8500円でホテルのスイートに泊まらせてもらえたと思ったら、ベルの人にレイトチェックアウトについてそれまでに知らされていなかったようなことを言われたり、
クルマを当て逃げされていたり。
もう、どうでもいいや〜、って思ったりもするけれど、コツコツ地味〜に諸問題を解決すべく取り組んでいる自分が居て、気持ちの切り替えがはやくなった自分にびっくりしたり。
人は、そう簡単には死ねなくて、死ぬほど何かをするなんて表現がぴったりくるような行動を起こす事なんて滅多になくて、9月10月に姉宅で合宿したって言ってもおいしいもの食べて夜中までいろんな話をして、姪の勉強を見たりして、ってそんなことをやって受験したとある試験に 私は合格できて、姉は不合格で。
気の持ちようで、「幸せ」なのかもしれないなぁなんて思うような出来事もあったりして。
親友が車を2時間以上も運転して 顔を見せに来てくれて幸せだなぁなんて考えたり。
で、チリアーノの「私だけの十字架」を「私だけの厄年」に替えて唄ってみたりもした。

毎日毎日、事故現場を事故発生時刻と思しき時間にうろうろするのが日課になった。
法定速度は40キロ。
40キロで、あの、蛇行した交差点を曲がろうとするのは ちょっと無理があるかもしれない。
20分間定点で観察してみて、蛇行しなければならない道を きちんと蛇行する車は皆無に等しく、S字カーブを直線でラインを取るような そんな走り方をする車がほとんどだった。
私の身内は どちらかというと、はみ出し運転を嫌うタイプの人間で、そんなところに妙なこだわりを持っていた。
なので、蛇行した道路を道に沿って走っていたと思われる。
法定速度40キロの道を何キロで走っていたら、右方からの人影に驚いて左方へ急ハンドルを切ってしまうような状況になるのか。
50キロで走ってみたら ハンドリングが忙しいながらもなんとか道に沿って走ることはできた。
と、言うことは、55キロから60キロの間で走行していてもあの規模の衝突をし得るのかもしれないと推測してしまう私。
で、保険会社への提出書類への参考数値として記録。
寒空の下、そんな日課へ付き合ってくれた友達に心から感謝。